日本人には馴染み深いリンゴだが、栽培が始まったのは意外に遅く、明治の初めにアメリカの品種を使って始められた。それ以後、日本でリンゴの栽培は盛んになり、品種もたくさんできた。誰もが知っている有名な品種だけでも「紅玉」「国光」「スターキング」「つがる」など、あげればきりがない。こうした品種名の決定については、いろいろなエピソードがある。青森県りんご果樹課によると、青森県の名産品として知られている「ふじ」は、当時青森県藤崎町にあった農林省園芸試験場で作られたものだという。「国光」を母とし、「デリシャス」を父とした組み合わせの中から、味が濃く、これはいけると直感させたリンゴを、「東北七号」として昭和三十三年に発表したのである。意外なことに、もっとも早く増殖に踏み切ったのは当の青森県ではなく、岩手県だった。青森県では着色が優れないことから二の足を踏んでいたのだ。しかし、味覚の良好さからやがて青森県での普及を図られるようになった。このリンゴに品種名をつける際には、味を高く評価した当時の銀座千疋屋の社長から、野球のラッキーセブン、東北七号にも通じるということで、「ラッキー」にしてはどうかという提案があったという。だが、この提案は採用されず、決定された名前は「ふじ」だった。これは、昭和三十七年当時に、藤崎町試験場に勤務していた四人が話し合って決めたものである。その理由は三つある。まずひとつ目は、人情こまやかな津軽の里、藤崎で生まれ育ったものだから、その町の名前を一字もらおうというもの。ここで育った証を残したいという強い思いによるネーミングだ。ふたつ目は富士山の名をもらおうというもの。日本で生まれた世界一級の品種ということで、日本を代表する山の裾野の広さにあやかりたい気持ちが込められている。そして三つ目が、絶世の美女として知られた女優の山本富士子にあやかろうというもの。当時のスターはまさに雲の上の存在、文字どおり輝く星たった。大事に育てたリンゴも、大スターのように輝いて、人々から愛される存在になってほしいという願いがあったのかもしれない。一説では、発案者のひとりが彼女の熱烈なファンだったともいわれる。この三つの理由から名づけられたふじは、平成十三年には世界でもっとも生産されている品種となり、現在では全国のりんご生産量の五五パーセントを占めている。名づけ親たちの願い以上に大きく、世界に羽ばたく存在となったわけだ。
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