結婚してからも、毎日のように「愛している」と言われ続けたい女性たち。欧米人の夫婦なんかを見ていると、とくにそう思うかもしれません。「愛している」と言ってくれるから、欧米の男性はやさしくて、日本の男はそうじゃないと考えるのは間違っています。欧米の男たちが、妻に向かって「愛している」と言うのは、朝起きて歯を磨くことみたいに、習慣の一つに組み込まれているからにすぎません。英語には「いただきます」という言葉がありませんから、欧米人にしてみれば、「日本人は、食事のたびにいただきますと言うなんて偉いよな」と思っているかもしれません。日本の男が愛していると言わないのは、それが習慣にないからなんです。そもそも「愛している」と言われたいと思う気持ち自体が、僕はすでに間違っていると思うんです。「愛している」という言葉は、言われたいものではなくて、相手が言うものですから、本来、それを相手に求めてはいけないんですね。期待していたのに、言ってもらえないから、こんなはずじゃなかったと腹も立ってくるわけです。日本人の男は欧米の男性のように「愛しているよ、ハニー」とは言わないけれど、夫婦というのは愛し合っているからこそ夫婦なのだという前提がある。だからもう、改めて口にする必要もないだろうというふうに思考回路に組み込まれているわけです。だいいち、愛していないなら、婚姻届けを出すわけがありません。前でも言いましたが、婚姻届けの判子が、「愛している」という言葉の一万回分なんです。さらに言わせてもらえば、仮に男が浮気したとしても、帰る場所は妻のもとであるわけです。浮気相手とは、目と目を見つめあっていても、時間が来れば「じゃあ、帰るよ」と言って、背中を向けなくてはいけない。籍まで入れて、「妻」といういちばんの座をあげているんだから、これ以上の愛かあるのか、これ以上何か欲しいのかっていうのが、男の木音であり、言い訳かもしれません。